BruceNonの音楽のある部屋5

BruceNonの音楽のある部屋

BruceNonの音楽のある部屋

 

コピーバンドからオリジナルを目指して。
作詞・作曲集団との出会い、バンド結成、
そして別れ。
ジェネレーション ジャムが解散してからは僕はバンドは組まず、一人でギターを弾いていました。
また、今後 何をやろうかと考える充電期間でもありました。
また、高校を卒業して就職してからは学生時代とは違い、時間もなくなり練習量はかなり減りました。
確か、2年間は会社の行き帰りと休みにギターといった生活だったと思います。
元バンドのメンバーは他のバンドに加入し活動をしていましたが、僕はソロでした
。他のメンバーの友達は二十歳過ぎた頃には、音楽を楽器を辞めていました。
僕はグループを辞めても、どうしても音楽を辞められませんでした。ビートルズとか、ローリングストーンズへの夢を捨てきれなかったのです。
夢とは、プロミュージシャンですが、今これを書いている時点でまだアマチュアですから、夢を捨てた方がいいと思われるでしょうが、今でもビートルズと他の3バンドのようになりたいの夢は持ち続けています。
二十歳になる少し前、自分を見つめ直しました。
バンドでやるか、ソロでやるか。まあ、どうであれ一人でやるにしても限度がある、そんな訳で御茶ノ水の楽器店にメンバー募集のチラシを貼りました。
一週間くらいしてから電話がかかってきて、会う事にしました。彼は西村といい楽器は大した腕ではありませんでしたが、曲を作っていました。
彼との出会いが、僕が曲を作るきっかけだったと思います。
ビートルズは曲を作りますが、あの頃は曲作りよりギターギターと、弾けるようになりたいの気持ちがいっぱいで自分で曲を作るなんて事は考えもしませんでした。
曲を作る、初めは浮かびませんでした。
作曲にもいろんなやり方があると思いますが、初めはギターを弾きながら曲を作ろうとしましたが、コードを弾いてメロディをとやりますと、ワンパターン化するのですね。
ビートルズに対し見方が変わりまして、ギターテクニックではなく、曲作りの分析みたいな記事を読むようになりました。
天才ビートルズは頭の中で曲のイメージを作り、メロディに合うコードをさがしていくとありました。
また、前にも述べたかもしれませんが、いきなり曲が出来上がっていたとか、曲の方から押し寄せてくるといった、僕には真似出来ない特技、才能があるのですね。
この頃は頭で曲を作る訓練をしました。
思い浮かべて口ずさむといった方法です。
でもうまくいきませんでしたね。
僕ら二人では曲を完成させることは出来ませんでした。
ある日、西村が雑誌を見て、作詞、作曲をしている人連絡ください。
のような募集記事を見つけて僕に知らせてきました。
すぐにでも会ってみたいと思い電話しました。
仲間だ。曲を作り詩を付けて音楽として完成させるには仲間がいる。
そう思い期待しました。
僕みたいな曲を満足に作れなくても大丈夫かと思いましたが、大丈夫でした。
アマチュアで楽しくやるのが主旨だったので僕ら二人を受け入れてくれました。
メンバーを集めたのは今も覚えている、中島さんといった。
彼は作詞とドラムスをやっていた。
あと覚えているのは偶然にも家の近所の加納さんといいました。
彼は作詞、作曲、ギターをやっていました。あと数人いたけど覚えていないです
活動内容は誰かが書いた詩に他の誰かが曲を付けるといった感じでスクールみたいでした。
僕と加納さんは会う機会が多くなった。
家がお互い近いからです。集まりの時は中島さん、西村、加納さん、僕と必ずといっていいほど会っていました。
他のメンバーの印象が薄いのは、あまり参加しなかったし、辞めてしまったからだと思います。
20歳のときですから忘れてしまいました。このメンバーとは2年間いっしょでした。
加納さんはもう少し会っていたかな?ここではの音楽研究は曲を作る方法の取り組み、歌詞を書く取り組み、アレンジ、実際の演奏でした。
幸いみんな楽器が出来ましたので、こんな曲だよと弾いてみでることが出来ました。
のちに大山さんをいう女の子が参加しました。
彼女は僕らよりはるか多く詩をもっていました。
作曲、楽器はやりませんでしたが、歌詞を提供してくれていたので困りませんでした。
僕と加納さんとはお互いビートルズに精通していましたので曲を作る手順も同じでした。
どちらかが何小節か作り、あとから付け加えていく、どちらかが歌い、あとで合わせてギターを弾く。あーラララみたいに思い浮かんだメロディを口ずさんで、ギターで音をさがす。
同じパターンのコードで何回も連続で弾いて、いいメロディが出来るまで弾き続けたり、時間があっという間に過ぎていきましたね。
学生時代と違うところはギターの練習ではなく曲を作る練習になったところです。
僕はビートルズの音楽制作面について勉強しました。
ストベリーフィールズフォーエバーなら、この曲が作られた過程とかですね。
コード進行、歌詞、ストリングスの入れ方ですね。他の曲も同じです。
録音技術はこの頃はまったくわかりませんでしたが、まずは曲を作ることに専念していました。
コード進行もなかなかセンスがないといい曲に仕上がりません。
ビートルズのフロムミートゥユーなんかは、C Am C G F Am C G Cでサビの所で、C7 Gmマイナーコードを入れることで曲が滑らかになり、いい感じになります。
坂道だったのが平らの道になり、また坂道になるといった感じですね。
mマイナーコード、7セブンスコードこれをうまく曲に取り込む、これもいい勉強になりました。
まだ未熟でしたがメロディが浮かぶとコードをさがしていくので、その音にあったコードを使わなくてはいけないということでコードブックを新しく買いました。
たくさんのコードが書いている本です。
今でも使っています。そうやっていくうち、一曲出来ました。
歌詞は大山さんが提供してくれたものでタイトルは、桜の花びらだったかな?僕が歌い、ギターを弾き、そのテープを当時NHKでやっていた番組、あなたのメロディに送ってみましたが、見事落選。この曲は演歌調だったからいけないのかな?この曲は駄作だったということで僕の曲リストからはずしてあります。
今はすっかり忘れています。
このみんなでの作業はいい経験になっています。
一度曲を完成させると、次からどんどんメロディやアイディアが出てくるようになりました。
ドリーム、ファンタジー、You、あなたのために、その他10曲は当時作りました。
でもこの曲を使って何かをは当時はありませんでした。
このグループは自然消滅してしまったのです。
理由は詳しくは覚えてないですが、中島さんと連絡が取れなくなった時点でああ、終わりかな?と思いました。
何で急にいなくなったのか。西村は、大学卒業後、田舎に帰っていきました。
大山さんも実家の千葉へ。残された東京組の僕と加納さんで相談してバンドを組むことにしました。
僕の友人、近松さんをドラムに迎えスタジオで練習をしばらくやっていましたが、このバンドも長くは続きませんでした。
近松さんは学生時代知り合った友達です。余談ですが、僕は専門学校にも行きました。広告の学校でした。
高校を卒業して会社員を一年して、マスコミ関係を学びたくて2年間行きました。
その時の友人です。
このバンドでの思い出は、加納さんが募集をかけて加入してきたメンバーの女の子で当時、高くてとても手がでないシンセサイザーヤマハのDX-7を持っていました。
持ち運びが出来る、最新式のシンセサイザーでした。シンセサイザーといえばイエローマジックオーケストラが大流行していました。
新しいもの好きの僕もシンセサイザーに憧れました。いろんな音を出せる。
僕の持論として僕の音楽はギターがメインでストリングスはバックというのがあります。
シンセサイザーをメインにした曲を作ることはありませんでした。
バックで効果音を出したり、音に厚みを入れたりとかの起用でした。
小さなほんとおもちゃみたいなシンセを手に入れ、音作りをした記憶があります。
外部接続機器につないでその音を録音しておけばよかったかな。
もう今はありません。
加納さんと組んだバンドにはいささか問題がありまして、みんな音楽ミーハーだった事です。
練習が終わり、喫茶店で次の練習のミーティングをするのが普通ですが、このメンバーは好きなミュージシャンの話ばかりでした。
ただスタジオに入ってダラダラ演奏をしているだけ。
僕がそれを主張してもダメ。
というわけで僕はこのバンドを脱退しました。
次の目標はコピーバンドではなく、オリジナル曲をやるバンドを目指していたからです。
近松さんは僕に付いてきてくれていっしょに辞めました。
加納さんとも友達だったのでバンド以外でも会ってはいましたが、音楽の話をすることはもうありませんでした。
この時点でこの新しく出会った友人たちとも別れの気配を感じていました。
事実そうなりました。
シンセサイザーの女の子は結婚して大阪へ。
加納さんは仕事の関係でどこか地方へ。
近松さんは地元荻窪、吉祥寺のライブハウスでほかのバンドに加入し演奏活動を。
そんな感じでこの時代も終止符を迎えました。
出会いあれば別れもある。
は本当のことなんですね。
僕は再び一人になる訳ですが、音楽は続けていました。
バンドや仲間との活動はなくても音楽はやっていました。
この次から何をしようか。
考え始めました。この時、加納さんとのバンド活動を含めて、25歳になっていました。

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