BruceNonの音楽のある部屋7

BruceNonの音楽のある部屋

BruceNonの音楽のある部屋

N & M

 

こうして活動を続けていくうちに友人と一緒に音楽をやろうよと。いうことになり、N & Mが結成された訳ですが、彼は新聞配達の仕事をしていて、なかなか時間が取れず、練習やミーティングをやる時間に限りがありました。

 

時間を作りながら、なんとかやっていましたが。その日の夕刊を終え僕と会い、その後、翌日の朝刊ですから大変だったと思います。

 

僕らはお互いに幾つかのバンド経験も踏んで来ましたし、ここでは、初歩的なことはしませんでした。

 

あとコピーをするにしても、原曲がエレキギターでやっている曲も、アコースティックギターで再現する形を取ることにしました。

 

前にもお話ししましたが、この頃エリッククラプトンやキッスが自分の曲をアコースティックギターで再現する、アンプラグドをやっていましたので、僕らもそれを見習ってやってみることにしました。

 

このアンプラグド、ほんと、学生の頃からアマチュアの僕らが取り入れていたら、ウケただろうな。と今でもそう思います。

 

オリジナル曲をやる前に、お互いのイキを合わせる為、コピーから始める事にしました。

 

選曲はビートルズで歌わすに曲のメロディとリズムを弾く形を取りました。

 

アコースティックギターでビートルズソングを表現する、僕にとっては新しい試みでした。エレキの曲もアコースティックで再現。

 

結構難しく、工夫が入りました。エレキギターは間違えてもエフェクターなどで多少音をごまかせても、アコースティックギターは生音なので、テクニックもちゃんとしっかりしないと、間違えてたらすぐにわかってしまいます。

 

アコースティックギターの方がその面で難しく感じました。

 

この時期は曲作りよりも、音作りに力を入れていました。

 

初めはオリジナルをと思っていましたが、ビートルズのレパートリーが増えていく度面白くなって来た訳です。

 

演奏にも工夫し、ただ普通のコピー演奏ではなく、オリジナリティを出しました。

 

僕は彼に出来るだけ多くの曲のコードを教えて、メロディラインのパートをまかせました。

 

僕はリズムパートとちょっとおかずを入れるパートをやりました。

 

落ち着きを感じさせるため、演奏もスローでやることを試みました。

 

ビートルズのオリジナルにないフレーズを生み出しどんどん採用していき、段々と形になってきました。

 

僕達はビートルズを弾いているけど、普通のビートルズじゃないぞ。みたいな気持ちでいましたね。

 

サウンドはアコースティックギター2本のみ、彼にはエフェクターを付けず、アンプに装着されているリバーブのみ使いました。

 

僕はエフェクターのコーラスのみです。

 

あまりエフェクターを使うと本来のアコースティックギターの味が消えてしまうからです。

 

ギターも直接アンプに接続せず、ギターの前にマイクを置き、マイクから拾った音をアンプから出しました。

 

この方が音がいいのです。

 

このおかげてアコースティックギターの魅力にハマっていきました。

 

練習は僕の家かスタジオでした。

 

また、環境を変えて練習しようということになり、鬼怒川温泉にも行きました。

 

ホテルの部屋の中は広いし、音が響くのでいい環境でしたね。

 

あと隣の部屋に音が漏れないのも魅力でした。

 

2泊3日、朝から晩までギター三昧、とにかく弾き続けて納得いく音が出るまで練習しましたね。

 

この時期はアンプやエフェクターを使っての音作りよりも、いいフレーズ、綺麗に聞こえるようにの研究が多かったです。

 

この練習時期のおかげで、スタジオに入った時のミキサーの使い方、音の調整などを覚え、のちのオリジナル曲をやっていく際に役に立ちました。

 

レパートリーが10曲になったら録音しようという事になり、その時点で4Chミキサーでテープに録音しました。

 

ギター二本だから2Chでもよかったのですが、スタジオにあったのは4Chミキサーだったので、それで録音しました。

 

そのテープはまだありますね。

 

たまに聞くといい感じですし、懐かしいです。

 

僕達N & M時代はコンサート活動はせずに音作り、フレーズの研究に明けくれていました。スタジオの中だけの音楽活動、これもよかったです。

 

後期のビートルズみたく、本当にいい感じでした。

 

その後、松本は知人のジャズバンドに誘われ、そのバンドで活動するようになり、N & Mはいったん別れますが、本当の解散ではなく、活動休止の形になりました。

 

5年間はやっていましたかね。

 

30代は松本と知り合い音楽活動をした、そんな10年間でした。

 

40代に入ってからも前半は僕らは互いに忙しく、練習はしていませんでしたが、僕は曲の整理をしながらある構想を練っていました。

 

Lotus Flowers結成の案です。

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